水海の田楽能舞について
最終更新日 2015年10月21日
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国指定重要無形民俗文化財 水海の田楽能舞(でんがくのうまい)
この行事は、毎年2月15日に水海の鵜甘(うかん)神社にて行われています。
由来
建長年間、鎌倉幕府の執権であった北条時頼が諸国を行脚の折、池田の地を訪れました。ちょうど真冬であり、雪のため立往生し、やむなく水海の地で一冬を越しました。そのとき、村人達は時頼を慰めるために「田楽」を舞って歓待し、時頼はこれに報いるために村人に「能舞」を教えたのが始まりとされています。
古来より、池田は人や物資の行き交う場としてにぎわいを想わせるものがあります。国の重要無形民俗文化財として継承されている「水海の田楽能舞」をはじめ大正7年まで続いた稲荷須波阿須疑(すわあずき)神社の翁神事を含め池田の里には5ヶ所で正月翁神事がおこなわれたことが「越前国古今名蹟考」に記録されています。そして、翁神事や演能が行われた集落には、舞や能はなくな っても春を迎える祭礼には数多くのお面様を祀り、当年の豊作と安穏そして一家の繁栄を祈念しています。
国指定重要無形民俗文化財に選定された価値
水海の田楽能舞は「田楽と能の両方をあわせ持つ舞であり、古い型が現在も生きた形で継承されていて、芸能発達史上高い価値をもっている」という評価を頂き、昭和28年3月31日、文化財保護法第67条の規定によって「文部省選定無形文化財」の指定を受け、さらに昭和51年5月4日、文部省告示第79号によって「重要無形民俗文化財」に指定されました。福井県内には数多くの民俗行事が各地に伝承されていますが、重要無形民俗文化財に指定されたのは、水海の田楽能舞が最初です。
田楽能舞の演目
烏とび(からすとび)
大八洲の国造りを示し、舞台の区画を定めます。
あまじゃんごこ
国中の荒ぶる神々を鎮め、舞台を含むすべての世界を清めます。
阿満(あま)
田作りを語り、悪魔払いをして、豊作を祈ります。
祝詞(のっと)
田楽能舞を奉納する意義を語り、五穀豊穣、息災延命等を祈願します。
式三番(しきさんばん)
翁、千歳、三番叟の三番が舞われ、天下泰平等を祈祷し、長久円満を祝福します。
高砂(たかさご)
相生の松にて、夫婦の和合と長寿を祝福し、常磐の松にて国の平安の永遠を寿ぎます。
田村(たむら)
清水寺の縁起を中心に、観音の仏力をたたえ、坂上田村麻呂の武勇を示します。
呉服(くれは)
呉織、漢織の二人の織女が廷臣の下向の道に機物を立てて帝に献上し祝います。
羅生門(らしょうもん)
素朴な武人気質を取り上げ鬼退治の武勇を描きます。
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